璋院 (しょういん) 先生
<手相、算命学、タロット、人相学>
あなたの一度の人生を明るく、楽しく送りましょう。
幸せになります様にアドバイス致します。
【 座右の銘 】
努力
人間、努力しかありません。
挫折や失敗をした時、あなたを支えるものは努力してきた自信です。
人間は感情の生き者、気持ちの生き者ですから、
精神的な苦労が少しあったほうが心が強くなれます。
幸福か不幸かはその先に見えてくるものですよ。
☆璋院先生はこんな先生です☆
人生経験豊富で、時代を通しての考察も深い璋院先生は、現代社会に生きる私たちに色々な事を教えてくださいます。お人柄は明るく、お話させていただくだけで心の安定をおすそ分けいただくような、そんな先生です。
ご縁を大事にされていらっしゃる璋院先生の、お金だけが全てではない生き方、無理をしない生き方は、あなたの肩の荷、心のわだかまりをすっと溶かしてくれるかもしれません。
私は、北海道の出身で、戦時中の生まれです。
生後間もなく、父親のいる山梨に疎開。
まだ赤ん坊であった私を背負い、母は女でひとつで北海道を目指しました。
理由は、北海道に私の祖母がいたのです。
それは大変な長旅でした。
当時、青森から北海道に渡るには、青函連絡船に乗るしかなく、母がぎゅうぎゅう詰めの船内に私を背負いながら乗り込む、その時、あるご婦人から
「大変でしょう。私も一人で心細いから一緒に乗りましょう。」と声をかけられたのです。
その時、そのご婦人は母に「私は北海道に渡ったら、いつ、こっちへ帰れるか分からないので、すぐ近くに知人がいるので、ちょっと挨拶してすぐ戻りますから、出来れば次の船に乗ってくれますか。」 と言うのです。
「母はいいですよ、待っていますね。」 と言って二人でその船から離れたそうです。
目の前の船は電灯を風呂敷の布で覆い、暗くして、静々と出航して行きました。
その時、突然、アメリカの飛行機がやって来て、その船に向かって爆弾を落としたのです。
母の目の前で船が沈没していきました。
もし、その船に乗っていたら、私も母も今はこの世にはいなかった、ということですよね。
驚くべきことに私は九死に一生を得たのです。
その待っていたご婦人はとうとう現れませんでした。
その方のお陰で母も私も助かったのです。命の恩人でした。
その頃、北海道で旅館を経営していた祖母が周りの人達にこう言ったそうです。
「ゆっちゃん(母の名)が、生きているか死んでいるか分からない子どもを背負い、
このような柄のもんぺを履いた母が見える。こっちに向かっている。」 と。
実際、母が命からがらその旅館に辿りついた時には、ぐったりしている私をおぶった母の姿は、
祖母の言った通りの姿で、一同、腰を抜かしたそうです。
祖母は元々霊感のある人で、そんな祖母の存在があり、私も色々と不思議な体験を経て、
占いの世界に興味を持つようになりました。
私自身に霊感はありませんが、直観はあります。
ただ、占いはそういった霊感や直感以外にも、色々な見方があります。
例えば姓名判断でみますと、女の子には「○○子」という名前がひと昔前に流行でした。
今となっては、そのように名づける親御さんも少なくなりましたが、「子」は平凡を表す、とても良い漢字です。
ただ組み合わせによっては、良い悪いもあります。
苦労が入る、という漢字もあります。また、その場合は直す方法もありますので、それをお伝えしています。
また、人相も美男子・美人さんは関係ありません。
人間は感情の生き者で、心の中身が人相に現れて、その方の性格を出してしまいます。
上辺だけを見て判断してはいけません。
とにかく占いは奥の深いものです。
私も何か目に見えない守護神に、この世に生かされてきたので、
少しでも、人様のお役に立てれば心の幸せを感じますので、
占いの世界で頑張りたいと思っております。
◆◆璋院 先生の主なご出演店舗◆◆
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