のんか 先生

 手相、算命学、タロット

 

 教師は見事に立ち直る力添えの役割を果たせれば十分だと思っていましたが、その役割は運命鑑定士とも重なると考えています。

 

 

 生き方に戸惑っておられる方たちの力になれたらと思います。

占いの道へ

◆「占い」に出会う迄

私は、現在では知らない人も多いと思われる幻となった国満州で生まれ、終戦を迎えた時未だ3歳と2カ月でした。1年余りを彼の地で捕虜?のような日々を過ごし、大変だったと後に聞きましたが、わたしにはその間の記憶は全然ありません。終戦以前の父のいた頃の平穏な日々の記憶は断片的にも残っているのに。終戦後、新京の地へ家も失って満州の奥地から身一つで集まって来た多くの人々より幸いしたことは終戦後も曾て住んでいた家に住み続けることが出来たことで しょうか。しかし、夜な夜な「露助」と呼ばれたロシア兵がトラックで乗り付け略奪行為の繰り返しに身を縮め怯えた筈です。帰還のために編成された部隊から急に集合の指令が出ると真夜中でも新京駅に向けて集合を余儀なくされるため、手のかかる私は夜も編み上げの靴を履いた侭寝かされた違和感は後々迄脚にずっと残っていました。駅までの道を家族から遅れまいと歩く私を想像すると哀しくなります。気の狂った母親が我が子を鉄橋から放り投げたことも目にし耳にしたことでしょう。終戦の日以後の一年余りを新京に留め置かれた多くの人たちと共に、自給自足の状況で過ごした家族7人の日々や、病院船でやっとの思いで日本の地を踏める迄の大部分は私の記憶に有りません。4才の秋、初めて見た故国をどんな思いで見たのだろうか?は思い出しようもありませんが、それら異状な状況を目にしていたのですから幼くても心は確実に屈折していたと思います。母は父親の帰還を信じて岐阜の父親の実家に一旦住むものの針の筵だったと後々聞かされました。元来、気難しい子どもだったようで、日本に帰り着いてからも周囲の人たちに馴染めず、病に伏せる母の枕元で絵本を見て過ごすことが多かったといいいます。5才になり同じ市内の京町に移りましたが、通い出した保育園でも友達もできませんでした。しかし、ある日紙芝居で芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に感銘を受け、その後は新聞で年令不相応な 新聞小説や母親や兄たちの本も漁り読んで過ごす楽しみを得ました。基督教の日曜学校で名画を用いての話に興味を持ったりして落ち着いた日常の生活を得て行きましたが、父が居ない現実と大きく変化した環境に、口には出せない運命の捻れの無情感を抱えたまま年齢を重ねて行くことになります。1年生の入学後の学校生活にも馴染めなかったのですが、3年生の時、臨任の若い女の先生が可愛がってくれたことが切っ掛けで、家を行き来する親しい友達もできたり、男の独身の先生が他の子から「ひいきしている」と非難の声が出るほど認めてくれたり、5年生の新任の男性教師は黒板の書記を字が綺麗に書けるからと、私に任せようとしてクラスの皆からストップが掛けられる等わたしの存在感が否応なく認められたことで学校生活が楽しくなり、勉強にも熱心になりました。しかし、家では母にも心を開かず立ち回りの上手い兄弟を嫌い、本ばかり読み孤立しがちな日々でした。ある時、勤め先で母親が職場に来た占い師に家族のことを占って貰って帰って来ました。一人ずつ占ってもらった内容を聞かされました。私のことを占い師が「この子は難しいでしょ?変わっているでしょ?」と告げたことを母から聴きながら、私は「占い」なんて何が解ると反発しながらも~言い当てている~と思い、いつか自分の宿命と運命を自らを解るようになりたいと考え始めていたのでした。この出来事がわたしの「占い」との初めての出会いだったと思います。

高校生になって繁華街にある本屋さんに 行く のが楽しみで浅野八郎著「手相占い」との出会いや「血液型社会学」や色彩心理学の等の本を見つけては立ち読みしたが浅野氏の「手相占い」に惹かれ買いました。小遣いで買う初めての本でした。母親に「お前は大学に行って置かないと心配」
と半ば命令され、受験勉強も不要で、自宅から通える現在の愛知教育大学の美術科に入学。教養科目の心理学の講義が面白く、専門の選択を誤ったと後悔する程熱中し関連の本を探して読んだものです。専門の美術は絵画を専攻し、抽象画のカンジンスキーの絵など心象表現に惹かれました。描く素材は人間をテーマに群像の「人物」を描くことで棲むことの困難さを描いたものの主任教授には嫌われ「生意気だ」と酷評され卒業を機に絵から離れてしまうことになります。出会う人に左右され続ける弱い心は今も以前も克服できていません。
不完全燃焼の侭、愛知県の一宮市の片田舎の中学校に美術科教師として就職。3年後、障害児教育の先進的な取り組みをしている先生方のグループを知り、転勤を希望して美術科と併せて障害児を担当する学級のクラス担任もして、やる気が出て来ました。また、そんな時3泊4日のカウンセリング講習の講座の開催を知り希望して参加し、「教師であること」以前に「人間」としての有り方を問われる衝撃的で新鮮な体験はわたしの考え方、生き方のターニングポイントになったた思います。心の揺らぎの大きい思春期の一般の中学生も、寡黙で自己主張の不得手な障害児をも、先入観を交えずあるが侭を受容する姿勢で接することの大切さを学んで帰り、仲間の先生にもその感動を共感して欲しくて時間を忘れて話し込んだ頃が今となっては懐かしいです。
その当時は、手相は何か戸惑う事があったり頼まれて友人の掌を見ましたがもっと詳しく学べないかと願うばかりで、易学をカルチャー教室で学び楽しむことで止まっていました。
結婚後、横浜に移り二つの小学校と六つの中学校を経て退職しました。問題を抱えた生徒と時間を越えて関わることは大変意義はありましたが、怠慢な教員たちの多さに失望しました。学年、学期の始まりの時期に頭痛を理由に欠席を繰り返す不登校の傾向のある生徒を感じとり朝訪問して声をかけることで、周囲が気づく以前に対応して事なきを得たこともありました。いじめっ子として小学校から申し送りされて来た女生徒を任されて2年間担任しましたが、私に反発しながらも、ぐれること無く普通の子として進学して一流の会社に就職が決まったことを他の学校へ転勤していた私のもとに初めて打ち解けて電話をくれたこと等々、今でも忘れない思い出は多いです。
教師は見事に立ち直る力添えの役割を果たせれば十分だと思っていましたが、その役割は運命鑑定士とも重なると考えています。

 

 

◆占う立場に

教職を退職後、念願であった系統的な占いの講座(手相術)に通い始めました。初級、中級上級、更に講師の資格を得ながら鑑定士として実践の場を体験。その過程で算命学に出会い三軒茶屋にあった伝習院にて受講し、初等科、中等科、高等科、初等、中等、高等各師範科、晴眼、正眼、心眼、蛇眼各師範科、占者のための実践科終了しました。

今後も、手相占いと算命学占いにタロット占いも併せて用いることでお客様の要請に応えられるようにしたいです。

 


◆わたしと占い

算命学と手相占いでわたしの来し方を振り返ってみると、様々な葛藤を乗り超える宿命を負っていることが算命学の陰占にも手相の運命線等にも如実に表れています。何故か周囲と馴染めず、背伸びをする生き方だったことも宿命に表れていることが確かめられました。また、陽占から、仕事に向かう姿勢も、適職を得てきたことも理解出来ます。以上はほんの一端ですが、もっと早く算命学に出会えていたなら賢明に宿命を受け止めて過ごして来たら、納得できる生き方をして必要以上に苦悩することも少なかっただろうと考えるにつけ、生き方に戸惑っておられる方たちの力になれたらと思います。


◆◆のんか 先生の主なご出演店舗◆◆

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TEL:045-323-9626

横浜市中区山下町136

 

 


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